こんにちは。
はじめてトルコ紹介の記事をライティングさせていただきました猫好きのプスプスと申します。
「『プスプス』って何?」と不思議に思われましたか?
実はこれ、トルコで猫を呼ぶときの掛け声なんです。
トルコの街角では野良猫に「プスプス」と声をかけると、トコトコと寄ってきてくれるんだとか。

本当に来るかどうかは……行ってみてのお楽しみ。
今回は、そんな猫の国トルコから、ちょっと心温まる日本との歴史的なつながりをご紹介します。
トルコってどんな国?日本との深い関係
「トルコ」と聞いて、あなたは何を思い浮かべますか?
ケバブ、バザール、オリエンタルな建築…。
大抵の人はトルコって国のことは知っていても、具体的な場所やどんな国か知っている人は少ないのではないでしょうか。
でも、意外と知られていないのが日本との深い絆。
トルコは、世界有数の「親日国」と言われています。
その理由、気になりませんか?

実はそこには、130年以上前のある壮絶な出来事があったのです。
エルトゥールル号の遭難と日本人の救出劇
時は1890年9月16日。
一隻の軍艦が和歌山県沖で座礁し、沈没するという事故が起きました。
その船の名はエルトゥールル号。
当時のオスマン帝国(現在のトルコ)海軍の軍艦で、日本とオスマン帝国の友好を目的とした親善使節団が乗っており、一行はオスマン帝国最初の訪日親善使節団として盛大な歓迎を受けていました。
3ヵ月にわたる滞在を終え、盛大な見送りの中で出航したエルトゥールル号。
しかしその帰路、折からの台風の影響を受け、船は制御不能に。

その後、和歌山県・樫野崎の岩礁に激突し、沈没してしまいました。
この知らせを聞いた地元住民たちは総出で救助に奔走。
台風の大荒れの中、不眠不休で命懸けの捜索活動が行われ、69名の乗員が救出されました。
生存者は神戸の病院に入院し治療を受け、その後に日本海軍はこの生存者を軍艦に乗せてイスタンブールまで送り届けたのです。
この出来事はトルコ国内でも広く報道されました。
それ以来、トルコの人々の心には「日本人は命を救ってくれた恩人」としての印象が深く刻まれたのです。

(和歌山県東牟婁郡串本町)
95年後、トルコが日本人を救う日
―― 時は流れて、1985年。
イラン・イラク戦争の中、イラクのサダム・フセイン大統領は突如こう発表します:
「今から48時間後、イラン上空を飛ぶ航空機は民間機を含めて全てを攻撃対象とする」
この時、イランの首都テヘランには200名以上の日本人が取り残されていました。
日本政府は安全上の理由から救援機を飛ばせず、時間だけが刻一刻と過ぎて無差別攻撃のタイムリミットが迫り「万事休すか」と思われたその時――。
なんと空港に2機の航空機が到着。
それは、トルコが日本人救出のために派遣した航空機だったのです。
この救援機によって日本人全員が無事にイランを脱出することに成功。
タイムリミットの、わずか1時間前のことでした。
なぜ、トルコは自国民ではない日本人のために危険を冒したのか?
当の日本政府も不思議に思ってたその問いに対し、駐日トルコ大使はこう語ったのです:
「エルトゥールル号の借りを返しただけです。」
トルコでは今でもエルトゥールル号のエピソードが教科書に載っており、
日本人の献身的な行動が語り継がれているのです。

トルコと日本、今も続く戦略的パートナー
現在、日本とトルコは“戦略的パートナー”と呼ばれるほどの友好関係を築いています。
成田からイスタンブールへの直行便もあり、旅行もしやすくなりました。
私自身、いつかアヤソフィア、ブルーモスク、トプカプ宮殿、カッパドキアなどを訪れたいと思っています。


……でもやっぱり一番は、現地で「プスプス」と言って
トルコの猫たちに囲まれてみたいな。

トルコの手仕事に宿る、物語と温もり
Al-Fanarでは、そんなトルコの地で丁寧に作られた雑貨も取り揃えています。
エルトゥールル号や猫の話をきっかけに、
「遠くて知らない国」だったトルコが、少しでも身近に感じてもらえたら嬉しいです。
トルコ製のハンドメイド品には、歴史と文化の温もりが宿っています。
ぜひ、私たちの小物入れでその一端に触れてみてください。
ざくろ | らくだ | 木箱 |
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